キャディーをしました。

今日1日、昨日貰ったカーテンを3枚に切ったうちの1枚を切り口をまつり縫いをして、すそをきって、窓に合わせて、千鳥がけをして過ごしました。途中鵜こっけいが、産んだ−!産んだ−!っていったら、玉子を取りに行き、パックにつめ道の駅に売りに行き、また帰ってお針仕事でした。
お針仕事は嫌でなく、昔、火事になって、私の着る物や子供達の着る物がなく、いただいたせびろや、着物や、スーツをほどいて、見よう見まねで、子供のシャツやスカートや、私のスカートを縫った思い出がいっぱいあって、楽しい時間です。3人の子供の幼稚園は、全部私が作った洋服を着て写真にうつっています。それが私の、誇り、なんにもないけど人には、やればできる知恵が有るんだって思ったんです。
でも、子供達から見るとどうして皆と同じ可愛い流行の服を着せてくれないんだろうと思ったようです。悲しいですね。卑屈になったり弱虫になったりしないように、世界で1枚しかない素敵な服だよ〜〜っていって。
息子が、こうこう3年生のころ、大学に行くからと行った時が、私には一番ショックでした。お金ないもん!!なんて言えません。人にあう事が一番嫌だったのに、キャデェーになりました。その頃バブルの絶頂期で、ゴルフ場は、お客さんで一杯で、会社からわたされた本を見てルールを覚え。10日めには、大男を4人連れてカートを押して、キャディーとして働き始めました。人が嫌い、特に大きな人、そして威張った人がどうしても恐くて、それでも、私のプライドで、へっちゃらな顔をして、知ったかぶりで、夢中で働きました。
その内、男の人が恐くなくなって、ルールを完全にマスターして、私の助言でスコア−が良くなって、喜ぶお客さんと一緒に笑えるようになって、キャディーは、私の天職か?って思った物です。キャディーさんには男の人を相手に働くので弱気な人は居ません。いろいろな苦労を背負っていて、私達は芝生の上を歩く同士のような気持があって、楽しい職場でした。
働いたお金は全部ためて、息子は無事大学に、入学しました。
ゴルフ場は、私を大人にしてくれた大切な場所、大切な人たちでした。今でもその時の人たちとのおつき合いは続いています。大切な先生ですから・・・
パパさんと、時々ゴルフにいけるのが嬉しい!!
ルールは私が教えます。パパさんはすじが良い!!子供達の体育系はパパさんゆずりか・頭は私・・・マザー