感性豊かな息子!!

この2、3日見てくれる人が増えた〜〜嬉しいけど、私の日記って、ちょっとかわっていて面白く無いんだけど、こんな女の独り言を呼んで何の種になるのかな〜〜って思ってしまう。誰か私の日記を他所へ教えた〜〜?はじめは物珍しいので覗くけど、南田〜〜こんな退屈なうだうだなんて〜〜って思うみたい。日記って本当の事を楽しいって書く事が大切みたいで、頭の体操にはなるよね。
今日は私の息子の事を書きたいと思う。私達がまだ精神的に子供で、でも我が家の跡取りで、パパさんは、いまよりもっとぼんやりしたパパさんで私は、これがまたもっと幼くて赤いリボンでお下げにして毎日どじょうをとって遊んでいた頃、息子が産まれました。その頃お婆ちゃんが居てくれて、勘の強い、気に入らない事があるとぎゃーぎゃー泣く子で、半分子供の私は、子供と一緒に泣いてました。すぐ下に妹が出来て年子でほ乳びんを2つくわえさせて私は産後10日で田んぼで働いていて、子どもをギュウ−ってなんて抱いてやる事もしないで、くたびれはてていました。その頃からパパさんは、家に帰って来ないで遊んでばかりで、私の哀しさとイライラはもう限界でした。
私がこの家をやっていこうって決めたのはその頃、火事で家は建てたけど超貧乏で、お金が無いので我が家の子供達はお菓子なんで多分食べたのは保育園に行ってからだと思います。

こんな暮らしをしていたラ子供達がいじけた子どもになる、私みたいな、世間を怖がる子どもになる、どうしょうって考えた。
最高の母の頭と心を全〜部貴男達に上げているから貴男達は今にすばらし〜い人間になるんだよ〜〜♪すごい頭の持ち主なんだよ〜〜♪っておしえた。
もちろん神様が見てくれている事も、物には心があって、鍋も茶わんも、鍋のふたも、夜になったら踊ったり遊んだりするんだよ〜〜♪ってもいった。
息子は、寝る前に必ず、鍋のおいてある場所を確認して寝ていて、朝、鍋さんが遊んで朝になったから元の場所に帰れなかったんだよ〜〜って私にいっていた。もちろん鍋を動かしたのは私。貧乏だから感性が乏しい子にはなってほしくなかった。私が産んだ子は輝いていて欲しかった。我が家の子はどの子も輝いた子達に育ちました。ただギュウ−ってしなかったのが今でも悔やまれる。

良い才能をいっぱい持った子どもが、家の都合と大人の都合で、埋もれてしまう事だけは、させたく無かった。母の知恵マザー