叔父の一生・・・

今日は、パパさんの一番ばん下の叔父と、退職祝。
叔父と言ってもパパさんと6歳しか違わなくて兄弟のような・・・間柄。
こうなるにはいろんな事が有ったんだけど。
我が家が火事で焼け出されて、やっとプレハブの小さな家を建てて、暮らしてた頃、北海道で暮らしていた叔父から、帰りたいから家を見つけてほしいと頼まれた。
しばらく我が家で暮らして、それから色々考えたらってことで帰ってきた叔父と伯母と2人の子供との生活が始まった。我が家は家のローンの、支払いで、生活はきゅうきゅうで、満足なおかずも作られず、お酒を買って上げれず、おかずが悪いと文句が出始め、それからは、私の子供と叔父の子供の年が近く、いざこざが絶えず、朝の起きるのが遅いといわれ夜が遅くテレビが煩いと文句を言われ、おかずを別にしょうという事で台所でハムやお肉を料理してると、我が家の子供がほしがると,たたいでけって、行儀が悪いと言いつのり、何度泣いた事か・・・

でも伯母の今までの生活を聞いていたから可哀想で、北海道から連れて帰られた辛さが良く分かっていたから,本気で腹も立たず、悲しくなってた・・

ガチャガチャとお皿の音で目が覚めて、時計は5時。何をしてるんだ〜〜と思うまもなく、大きなお皿の割れる音・・・。
どうしてそんなの早く起きるんですか〜〜?ののんきそうに言う私に「農家の嫁がそんなに遅く起きてどう思ってるのですか、もっと早起して仕事をするのが農家の嫁でしょう!!」って叱られた。

頭に来た私が言ってはいけない言葉を言った。
「そんなに辛かったら家を見つけて出ちゃったらいいと思うんですけど」
「おとうさ〜ん、○さんが・・・」って叔父に言いつけに行って、それからあわただしく10日後に出て行った。一か月分のお金といって5千円の入った封筒を置いて・・・やっと地獄のような生活から開放された。

でもまだこうやってお付き合いできるのは、伯母の悲しみを知ってるから許せるんだと思います。小さい時から口減らしに子守に出され、他人の中で辛酸を舐めた伯母の不器用な生き方に、共感したから・・・我が家に来るようになったのは10年も経ってから、仲良くできて嬉しい!!。

叔父の退職は心から、労わってあげたい・良く最後まで頑張って、働いたよねぇ〜〜自分だけに力でここまで来たことに心から・・・お疲れ様でした。
ご苦労様でした。  マザー