昔話を・・・

昨日やっと我が家が生活が少し楽になったこと書いたけど、昔は笑うしかないぐらい苦しかった。
何を言ってもこれより下の暮らしはないだろうと思える暮らしだった。

私が一番気をつけたのは、お金がなくて差別される時に子供に卑屈にさせないように気を使った。世の中は差別が当たり前の時代、人はつねに自分より下を見つけ自分はまだまし、ってキュウキュウな暮らしをしてた時代。
我が家は格好の下の標的。

楽しい〜って貧乏生活を面白がって見せてた。毎夕食にお米、ただ。天ぷらただ。せりのおひたし、ただ。竹の子の煮物に入ってる天ぷらが100円全部で100円の夕食〜!!なんてはしゃいでいた。
子供は私に言わないだけで十分差別は受けてきただろうし、世の中の非情を知ってる。それは親が教えられない教育だったと思ってる。
ただ、それで心が捻じ曲がらないように祈るような気持だった

我が家の子供たちは皆運動が出来て、それでずいぶん救われた所があった。
むすこが高校でウエートリフティングを始めて、国体へ3度行った。
どうしてよその親のように、大喜びして見に来てくれなかった?って大人になった息子が聞いたことがあった。
悲しかった。だれが行きたくないなんて思うもんか!!京都と北海道と、徳島であったけど、旅費と国体に着るジャージの支払いで、親はいっぱいいっぱいだった。
行きたくても行けなかった。自慢したくても、えばってるようで自慢も出来なかった。
だから息子の国体行きを知ってる人って少ない。県民栄誉賞を頂いたし、大学に行って西日本で優勝して大学の功労賞を頂いてる。自慢の息子なのに、母は素直に喜ばない。心が捻じ曲がったのは母である自分だった。

ただ嬉しいのは、ハングリー精神が子供たちにあってその後の生き方を決めてくれたように思う。良い暮らしが良いに決まってるけど、貧乏も悪くなかったって思いたい。

でもお互いに悲しすぎて親子で昔の話は今でも、出来ない。思い出を語れないほどの貧乏はやっぱりしないほうが良い。
今のこの暮らしがドンだけ恵まれてるか、パパさんと私だけが知ってる。
昔があっての今だから、この暮らし楽しんでもいいよね。
自力で掴んだ良い暮らしの息子と娘、良く頑張った。
お互いに楽しもうね、豊かな暮らしを。戸惑いながら母はお金のある暮らしに慣れて行ってます。
昔話をしょうよ!!      マザー