母とのご縁

あぁ〜、今日は祝日だった。すっかり、日にちと曜日を忘れて暮らしてしまって・・今日は敬老の日
私の母の話を少し・・・母の20歳の時の子が私だから母、80歳。
80歳の母に文句をたれるのはもう止めとすっかり言わなくなってる私。
母の人生は文字通り波乱万丈だった。
父親が戦争さなか、朝鮮の警察署長の時にお嬢様で甘やかされて育ったそうな。父親の部下と朝鮮で結婚。それまでの地位も財産もなくし夫の故郷に引き上げて、農家をしてたそうだけど、夫はもう一度警察官になると町へ。母も一緒に・・兄が生まれ、そして私が生まれ弟が生まれた。

その頃父が病気になって看病に明け暮れて、それでも踊りやお琴を習いに行ってた。もちろん私もね。母は遊び好きでのんきで派手な母だった。
夫を亡くして母はすぐ再婚。でもハンサムな再婚相手は病弱で金銭的に困ってたそうで母も、夜の仕事を始めて・・そのころ私は祖父の家に預けられてたから、見てない。綺麗だったという。

再婚相手も、結婚して10年目に亡くなって・・男運が無いと祖父が嘆いてたのを聞いてる。
母は、綺麗なもの高価なもの美味しい物に目がなくて母のタンスには一着何十万もする洋服がずらりとかけてあって驚きだった。

母が落ち着いたのは60になって、兄と一緒に暮らし始めてから。
兄も私もほっとした。それから20年、遊びに遊んで、着たいだけ着て、日本全国旅行三昧で、1円の貯金も無しの今80歳。
母に、自分の人生、『如何だった?』と聞いた。
『子供に苦労をかけて悪かったと心底思ってる』って言った。
良かったね。死ぬまでに、それが分かって〜〜!!
でも、母だってその時はその時で一生懸命だったんでしょ?ただ、ついつい子供のこと忘れてただけよね。
いいんよ、お陰でこんな打たれ強い子に育ったんだから〜〜(??⌒∇⌒??)キャハハハ!!ただ、感謝はしないよ。心が捻じ曲がって、普通が分からずどれだけ苦労をしたか、忘れた振りの心がまだ覚えてるんだよ、辛さを。
ただね、私を思ってくれる気持ちに嘘は無いと思ったから、母だと思ってるよ。
ようこそ、私の母でいてくれて・・私の健康を心配してくれて有難う〜!
生まれてくる時に私が選んだ母。ご縁で親子に!!
一緒に暮らしたのはたった7年だったけど、今でも見る夢は、あの頃の家と母の蒸かしてくれた、おもこちゃん(おいも)!!       *マザー